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2018/04
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大作曲家の信仰と音楽(モーツァルト)5

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 1756~1791

神様はどんな時でも私の目の前におられるのです。私はその全能の力を感じ、その怒りを畏れます。でも一方で、ご自身の創造物に対する愛、あわれみ、優しさもわかるのです。



・モーツァルトは深い信仰的な性格の持ち主だった。子供が父親に全面的に信頼を置くように、
 神に接していた。

・彼の両親は信心深いカトリック教徒だったが、息子の信仰は心底個人的なものだった。
 カトリック、プロテスタントの影響、18世紀の啓蒙思想など色々な影響を受け独自なそして本物の
 キリスト教そのものだった。
 モーツァルトの信仰はどんな時でも揺るがなかった。

「お父さんは心配なさらないでください。神様はどんな時でも私の目の前におられるのですから。
 私はその全能の力を感じ、その怒りを畏れます。
 でも一方で、ご自身の創造物に対する愛、あわれみ、優しさもわかるのです。
 神様は決して、ご自分のものをお見捨てにはなりません。
 もしその意志にかなうことなら、私の意志に従ってなさせて下さる。
 こうしてすべてはうまくいき、私は間違いなく幸せな気分になり、満たされずにはいられないのです。」

 (お父さんへの手紙より)

・父親が息子の結婚に懸念を示した時、「私は彼女のそばにいる時ほど、心から祈りを捧げ、
 また敬虔な気持ちで告白したり聖餐を受けたりすることはありません。彼女も同じように感じています。」

 と述べた。

「すべてがうまくいきますようにと神に慈悲を求め、神の栄光が増しますようにと祈りました。
 すると、交響曲がなり始めたのです。」


・友人が深刻な病を患っていた時、その母親と姉妹を慰めた。
 「そんなに深く嘆くべきではありません。神のみ旨はいつも最善だからです。
 神はどちらが良いかご存知なのです。現世に留まるべきか、来世に旅立つべきかを。」


・最愛の母親が亡くなった後、彼は次のように書き残した。
 「神の比類のない恵みにより、私は取り乱さず冷静さを保ち、すべてを堪え忍びました。母の病が
 危険な段階にさしかかった時、私は神に二つのことだけを祈りました。
 母が幸せな中で死を迎えられることと、私自身にそれに堪える力と勇気が与えられることを。
 神は愛のこもった優しさでその願いに耳を傾けてくださいました。
 私の祈りを聞いて下さり、この二つの慈悲を最大限授けて下さったのです。」


・生と死の問題について彼の信仰が示しているのは、強い信念であった。
 「いかなる医者も、人間も、いや偶然であれ、人に生命を与え、取り去ることはできないと。
 生命は神だけに帰せられているのですから。」


・自分の生涯のはかなさを予感し始めた31歳の時。
 「毎晩ベッドに横たわる度に、私のような若い者でも明日にはもう生きていないかもしれない
 と考えるのです。だからといって、知り合いの誰一人、付き合っている最中に
 私が物思いに沈んでいるとか、気難しいと口にすることはありません。
 それはこの恵みを、創造主に日々感謝し、すべての同胞にも与えられるよう
 心から望んでいるためなのです。」



神を信頼しましょう。
そして万能の神のみ心にかなえば何ごともうまくいくものだと考えてみずから心を慰めましょう。
神こそが、われわれみんなの現世ならびに永生の幸福と救済にとって何が有効で有益であるかを
一番よくご存知なのですから。


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大作曲家の信仰と音楽(モーツァルト)4

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 1756~1791

神様はどんな時でも私の目の前におられるのです。私はその全能の力を感じ、その怒りを畏れます。でも一方で、ご自身の創造物に対する愛、あわれみ、優しさもわかるのです。



・成功する者は問題に打ち勝つために行動を起こす。
 モーツァルトは行動と熱中の人だった。

・作品数が膨大なのは、少年時代の成功にあぐらをかかず、35年間にわたって業績を積み上げたからだ。

・彼は天才児として大評判だったが、一個人としては意気消沈させるような数々の災難に取り囲まれていた。
彼は困難に挫けそうになっても音楽活動をやめるどころか、がむしゃらに突き進み素晴らしい新作を生み  出した。

・最晩年の気力を失わせるような苦境の中でも、熱中して自分を駆り立て続けた。

・作曲委託料を受け取ると、彼はすぐ要求に応じた。経済的な動機がないときでも傑作を生み続けた。

・【短命】

 常に虚弱だった。31歳ですでに自分の生涯のはかなさを予感していたかもしれない・・・

 1971年7月 オペラ《魔笛》の仕上げ真っ最中に「鎮魂ミサ」の作曲依頼を引き受ける。
      8月 9月に上演するオペラ《皇帝ティストの慈悲》の作曲依頼を引き受ける。

      9月 《皇帝ティストの慈悲》を上演
         続いて《魔笛》を上演

 この頃には、彼の頬はげっそりとこけ、目は落ちくぼみ息づかいも苦しげだった。

・しかしもう一つの依頼「鎮魂ミサ」が残っていた。これが最後の偉大な傑作《レクイレム》である。
 彼は気力を振り絞って五線紙に向かったが、ついに力尽きた。

・1971年12月5日、35歳の若さで世を去った。彼の死因については、毒殺説や水銀中毒説もあるが、リウ マチ熱から心不全を起こして亡くなったという説が最も妥当ではないかといわれている。

・自分の死が近いと感じ《レクイエム》は自分のために書いていると、コンスタンツェに告白したそうだ。

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大作曲家の信仰と音楽(モーツァルト)3

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 1756~1791

神様はどんな時でも私の目の前におられるのです。私はその全能の力を感じ、その怒りを畏れます。でも一方で、ご自身の創造物に対する愛、あわれみ、優しさもわかるのです。



・モーツァルトは子供っぽく、呑気で大胆。ゲームにダンス、仮面舞踏会が好きだった。

・【貧乏】

 金銭感覚はほとんどなかった。(奥さんも同じ)

 仲間の作曲家が病気で、依頼された作品を仕上げられず収入が危うくなった時、彼は友人宅のベッド脇で残った分を完成し代金は受け取らなかった。

  ウィーンの路上で物乞いが近づいてきて、施すほどのお金がなかったので、物乞いをコーヒー店に連れて行き、素早くひとまとまりのメヌエットとトリオを書き上げた。作品と手紙を物乞いに渡し、いつも使っている楽譜出版社に行かせ、楽譜の代金を物乞いに受け取らせた。

 結婚当初はピアノの弟子も多く予約演奏会も盛況を極め、そこで演奏するためのピアノ協奏曲が次々と書かれた。『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』などのオペラもこの時期で、数年は仕事と収入に恵まれた。しかしながら・・・

 彼のピアノ協奏曲があまりにも崇高な境地に達したため、聴衆の理解を得られなくなってしまい、予約演奏会に客が集まらなくなったこと。

 コンスタンツェの6度にわたる出産費用。

 そのうちの4人までもが亡くなったためにかかった葬儀費用。

 度重なる転居で物入りが多かったこと。などが原因で、彼の懐は窮乏してきた。

 そのうち予約演奏会の申し込みも途絶え、ピアノの弟子も作曲の注文もめっきりと減り、生活は薪を買うお金もなくなる。ある時友人が彼の住まいを訪ねると、寒さを凌ぐために夫婦でダンスをして暖をとっていたらしい。

 この貧乏を絵に描いたような生活の中から、『第39番』『第40番』『第41番 ジュピター』という三大交響曲が生まれている!!

                                                つづくneko

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大作曲家の信仰と音楽(モーツァルト)2

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 1756~1791

神様はどんな時でも私の目の前におられるのです。私はその全能の力を感じ、その怒りを畏れます。でも一方で、ご自身の創造物に対する愛、あわれみ、優しさもわかるのです。

・モーツァルトは25歳まで故郷ザルツブルクを拠点として旅に明け暮れた。

・21歳のとき、モーツァルトは母親と一緒にマンハイム、パリを回る大規模な旅に出た。有利な就職口を捜すことが目的だったがこれは実らず・・・

・そのかわりに幾人かの女性との出会いがあった。

・その中でも彼が夢中になったのが、マンハイムで知り合った後の彼の奥さんとなるウェーバー家のコンスタンツェのお姉さん、アイロジアだった。

・アイロジアは駆け出しのソプラノ歌手で、モーツァルトは自分が求職中の身であることも忘れ、何とか彼女を世に出したいと躍起になった。彼女はさっさと別の後援者をみつけてスターの座をつかみ、モーツァルトから離れていった。

・【悪妻コンスタンツェ】

 モーツァルト、26歳の時にコンスタンツェと結婚する。

 モーツァルトの父親が息子の結婚に懸念を示した時、モーツァルトは自分とコンスタンツェは信仰の点で比類ないほど一致しているから大丈夫だと言った。

 2人して金銭面では無能だった。

 コンスタンツェは、夫が埋葬されるとき同行しなかった。そのため彼の遺体が埋められた場所は何と永遠に謎のままとなってしまった。

 彼女はその後も20年近く墓参りさえしなかった。商売に忙しかったからだ。

 商売とは、夫の絶筆となった『レクイエム』を夫の弟子であり四男の実父だったらしい男に仕上げさせ金儲けする。

 他の遺稿の売りさばきにも、これがかつての浪費妻かと唖然とさせられるばかりの手腕を発揮する。

 再婚した男性にモーツァルトの伝記を書かせて一儲けし、80歳の天寿を悠々と全うした。                      


                                                つづくneko

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大作曲家の信仰と音楽(モーツァルト)

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 1756~1791

神様はどんな時でも私の目の前におられるのです。私はその全能の力を感じ、その怒りを畏れます。でも一方で、ご自身の創造物に対する愛、あわれみ、優しさもわかるのです。

 

・オーストリアのザルツブルクで生まれる。

・モーツァルトと聞けば「天才」。他にも「悪妻」「貧乏」「短命」で有名である。

・【天才モーツァルト】

 3歳にしてすでに鍵盤楽器での楽しみを覚え、4歳で正式な訓練が始まり、5歳には即興でメヌエットを作曲していた。

 『ヴァイオリンで協奏曲を弾き、ハープシコードで交響曲の伴奏をします。布のかかった鍵盤で演奏します。離れたところからでも、聞こえてくる音符は単音、和音を問わずたちどころに言い当てます。お望みなだけ、どんな調ででも即興演奏いたします。』が、モーツァルトの児童演奏会の広告の文句だった。

 モーツァルト少年がヴァティカンを訪れたときの話である。礼拝でローマ教皇聖歌隊による演奏が行われた。年1回だけ歌われる“ミゼレーレ”は規則により他のいかなる場所でも演奏してはいけないし、唯一の楽譜も厳格に管理されていて、写譜でもしようものなら処罰される。演奏が終わって家に帰った少年は記憶をたどりながら写譜してしまう。このことがローマ法王の耳に届き、処罰・・・・ではなく、ヴァティカン勲章を与えられた。

 成長するに従い演奏者としての名声に匹敵するほど作曲家としての評判もついてきた。彼はなだれのように、交響曲、オペラ、室内楽、協奏曲、ミサ曲、歌曲を作曲したが、そのどれもがペン先から苦もなく流れ出てくるらしい。彼はたいてい、頭の中で曲の詳細を組み立て、驚くべき早さで音符を五線紙に書き留めたと思われる。

 行きつけの床屋さんはモーツァルトの整髪が難しいとこぼしていたそうだ。彼の頭にはいつも着想が湧いていたので、思い浮かぶたびに鍵盤楽器に駆け寄り、床屋さんはあわてふためいてあとを追いかける有様だった。

 「作曲は何もしないでいるより疲れません。」

 モーツァルトの天才はヨーロッパ中の関心を引いたが、その名誉を失わせようと全力を注ぐ妬み深いライバルも数多く生んだ。有名なのがサリエリだ。

                                                つづくneko

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プロフィール

ppart

Author:ppart
自宅で「ピアニッシモ」ピアノ教室を開いています。
音大生時代からピアノ指導に携わり、はや34年が経ちました。
その間には、いろいろなことがありました。
洗礼を受けクリスチャンになりました。
その後結婚をして2児の母となりました。
その子どもたちも、これから自分の足で歩むことを考える年となり、私も第二の人生を歩み始めました。

私の人生そのものの信仰とピアノを活かし、そして54年間生きてきた経験を活かして、私だからできることはないかと、立ち上げたのが
“pianissimo art”(ピアニッシモアート)、
略して“PPあーと”(ピーピーアート)

   

私、妹そして弟の兄弟3人で立ち上げた会社です。
それぞれの得意分野を生かしていきます。
誠心誠意の仕事で、皆様のお役に立てたらうれしいです。


pianissimo art HPへは、下のロゴからお入り下さい。
   ↓

みんなの喜ぶ顔が好き!ppロゴ名刺用(8)

* ピアノ教室 “PIANISSIMO”

* コンサート企画

* プロデュース

Pianisimo artオーディション!!
今年度のオーディションは

無事終了することができました。


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気に入った伴奏者がいらしたらその方もご一緒に。
伴奏が必要なのに伴奏者がいらっしゃらない場合は、私がお引き受け致します。
『ふじみ野・ハートフルコンサート』は、土曜日の午後の時間帯にサロン風のコンサートを毎年10~12月に予定しています。
『SHINE Concert』は不定期です。
演奏するチャンスにも恵まれますが、こういう企画が定着したら地域の文化向上にも貢献できると思っています。
賛同して下さる方お待ちしています!!
資料を欲しい方はこちらにメールを下さい。
capriccioso72@yahoo.co.jp

 

お知らせ

第19回『レパートリーおひろめ会』
7月16日(祝)13:30~
キラリ☆ふじみ メインホール

★『ピアノアンサンブルコンサート』(仮)
11月3日(土)
日仏文化協会 汐留ホール

★ 第9回『ふじみ野・ハートフルコンサート』
1月13日(日)14:00~
キラリ☆ふじみ マルチホール

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