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ひだまり

第二の人生を歩き始めようとしている町のピアノ教師の日々を綴っていこうと思います。家庭のこと、ピアノ教室のこと、信仰のこと、そしてこれから始めようとしている第2の仕事のことなどの奮闘記です。

大作曲家の信仰と音楽(モーツァルト)4

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 1756~1791

神様はどんな時でも私の目の前におられるのです。私はその全能の力を感じ、その怒りを畏れます。でも一方で、ご自身の創造物に対する愛、あわれみ、優しさもわかるのです。



・成功する者は問題に打ち勝つために行動を起こす。
 モーツァルトは行動と熱中の人だった。

・作品数が膨大なのは、少年時代の成功にあぐらをかかず、35年間にわたって業績を積み上げたからだ。

・彼は天才児として大評判だったが、一個人としては意気消沈させるような数々の災難に取り囲まれていた。
彼は困難に挫けそうになっても音楽活動をやめるどころか、がむしゃらに突き進み素晴らしい新作を生み  出した。

・最晩年の気力を失わせるような苦境の中でも、熱中して自分を駆り立て続けた。

・作曲委託料を受け取ると、彼はすぐ要求に応じた。経済的な動機がないときでも傑作を生み続けた。

・【短命】

 常に虚弱だった。31歳ですでに自分の生涯のはかなさを予感していたかもしれない・・・

 1971年7月 オペラ《魔笛》の仕上げ真っ最中に「鎮魂ミサ」の作曲依頼を引き受ける。
      8月 9月に上演するオペラ《皇帝ティストの慈悲》の作曲依頼を引き受ける。

      9月 《皇帝ティストの慈悲》を上演
         続いて《魔笛》を上演

 この頃には、彼の頬はげっそりとこけ、目は落ちくぼみ息づかいも苦しげだった。

・しかしもう一つの依頼「鎮魂ミサ」が残っていた。これが最後の偉大な傑作《レクイレム》である。
 彼は気力を振り絞って五線紙に向かったが、ついに力尽きた。

・1971年12月5日、35歳の若さで世を去った。彼の死因については、毒殺説や水銀中毒説もあるが、リウ マチ熱から心不全を起こして亡くなったという説が最も妥当ではないかといわれている。

・自分の死が近いと感じ《レクイエム》は自分のために書いていると、コンスタンツェに告白したそうだ。

つづくneko5a.gif

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プロフィール

ppart

Author:ppart
自宅で「ピアニッシモ」ピアノ教室を開いています。
音大生時代からピアノ指導に携わり、はや36年が経ちました。
その間には、いろいろなことがありました。
洗礼を受けクリスチャンになりました。
その後結婚をして2児の母となりました。
その子どもたちも、これから自分の足で歩むことを考える年となり、私も第二の人生を歩み始めました。

私の人生そのものの信仰とピアノを活かし、そして56年間生きてきた経験を活かして、私だからできることはないかと、立ち上げたのが
“pianissimo art”(ピアニッシモアート)、
略して“PPあーと”(ピーピーアート)

   

私、妹そして弟の兄弟3人で立ち上げた会社です。
それぞれの得意分野を生かしていきます。
誠心誠意の仕事で、皆様のお役に立てたらうれしいです。


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